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次の文章を読んで、後の設問に答えよ。

(前略:秋の気配が深まる高原の療養所で、「私」と病床の美冬は迫り来る死の影を感じながらも、寄り添うように静かな日々を過ごしていた。)

十月に入ると、空はどこまでも高く澄み渡り、空気はガラスのように張り詰めた。
体調の良い日の午後、私は美冬の寝椅子の傍らで、よく本を朗読した。リルケの詩集や、古いフランスの恋愛小説。私の声だけが、静寂に包まれた谷間に低く響き、美冬は目を閉じて、その言葉の響き一つ一つを魂に刻み込むように聴き入っていた。

「ねえ、あなた」ある日、彼女は唐突に目を開け、私を真っ直ぐに見つめて言った。「もしも私が、あの落葉松の葉のように土に還ってしまったら、あなたは私を忘れてしまうかしら」
「馬鹿なことを言うな」私は本を閉じ、努めて平坦な声を出そうとした。「君が土に還るなら、私も一緒に還るまでだ」
「駄目よ、そんなこと」美冬は首を横に振った。そして、ひどく澄んだ瞳で私を見つめ返した。「あなたは生きなければ。私が生きたかった明日を、あなたは生きて、そして時々でいいから、こうして風が吹いたときに私を思い出して。私があなたの記憶の中で生き続けられるように」

(ア)その言葉は、私の胸の奥深くに重く、冷たい鉛のように沈み込んだ。私は何も答えることができず、ただ彼女の細い指を強く握り返すことしかできなかった。彼女の手は驚くほど軽く、そして、ひどく温かかった。その温もりが、かえって彼女の命が今、燃え尽きようとしている証のように思えて、私は込み上げてくるものを必死で飲み込んだ。

十一月の声を聞く頃、谷には初雪が舞った。
世界は音を失い、ただ白一色に塗り込められていった。それに呼応するように、美冬の病状は急激に悪化し始めた。夜になると激しい咳の発作が彼女を襲い、その度に彼女の細い体は小舟のように波打ち、白いシーツには微かな赤い染みが点々と咲いた。

私は夜通し彼女の背中をさすり、氷で彼女の熱い額を冷やし続けた。看病の疲労で私の意識も朦朧とする中、ふと窓の外を見ると、雪明りに照らされた落葉松の森が、青白い幻影のように浮かび上がっていた。
「苦しいかい」
私が囁きかけると、発作が落ち着いた美冬は、荒い息を吐きながらも、ゆっくりと首を横に振った。

「不思議ね……」彼女の声は、かすれてほとんど音になっていなかった。「体はこんなにも重くて、痛いのに……心は、少しずつ透明になっていくみたい。空のずっと高いところへ、溶けていくような気がするの」
(イ)それは、死へ向かう者の特有の、恐ろしいほどの静けさだった。彼女はすでに、私の手の届かない、どこか遠く美しい場所へ旅立つ準備を始めているのだ。私は強烈な喪失感と孤独に襲われ、彼女の枕元で静かに涙を流した。美冬は私の涙に気づくと、震える手を伸ばし、私の頬をそっと撫でた。
「泣かないで。私たちは、この谷で、誰よりも純粋に生き、愛し合ったわ。それは、どれだけ時間が経っても、決して消えることのない真実よ」

美冬が息を引き取ったのは、それから一週間後、雪が酷く降る夜明け前のことだった。
全く苦しむ様子もなく、ただ眠りにつくように、彼女は静かに目を閉じた。最後に彼女の唇が「ありがとう」と動いたのを、私は確かに見た。

彼女が去った後の部屋は、ひどく広く、そして冷たかった。私は彼女の冷たくなった手をいつまでも握り締め、窓の外の白みゆく空を見つめていた。涙は出なかった。(ウ)ただ、私の中からあらゆる感情が抜け落ち、巨大な空洞だけが残されたようだった。

数日後、簡素な葬儀を終え、私は一人で荷物をまとめた。この療養所を去る日が来たのだ。
トランクを提げてテラスに出ると、あの日と同じように、山から冷たい風が吹き下ろしてきた。風は積もった雪を巻き上げ、きらきらとダイヤモンドダストのように宙に舞わせた。

その風の音の中に、ふと、美冬の微かな笑い声が混じったような気がした。
『あなたは生きなければ』
彼女の声が、私の耳の奥で鮮明に蘇る。

私は立ち止まり、深く息を吸い込んだ。冷たい空気が肺の奥まで入り込み、私がいま、確かに生きていることを実感させた。
美冬はもういない。しかし、彼女と過ごしたこの静寂の谷での日々、彼女の瞳の奥の光、手の温もり、そしてあの言葉は、私の中に永遠に生き続けるのだ。

風が、また強く吹いた。落葉松の枝が大きく揺れる。
私はトランクを握り直し、雪の積もる道を一歩、踏み出した。見上げる空は、悲しいほどに青く、そして澄み切っていた。生きよう、と私は思った。(エ)彼女の残した愛の余韻を胸に抱きながら、この残酷で美しい世界を、私は生きていこう。

風が吹いている。生きることを、試みなければならない。

【設問】

(1) 傍線部(ア)「その言葉は、私の胸の奥深くに重く、冷たい鉛のように沈み込んだ」とあるが、これは「私」のどのような心情を表しているか、説明せよ。(2行:約60字)

(2) 傍線部(イ)「それは、死へ向かう者の特有の、恐ろしいほどの静けさだった」とあるが、どういうことか、説明せよ。(2行:約60字)

(3) 傍線部(ウ)「ただ、私の中からあらゆる感情が抜け落ち、巨大な空洞だけが残されたようだった」とあるが、「私」がこのような状態になったのはなぜか、説明せよ。(2行:約60字)

(4) 傍線部(エ)「彼女の残した愛の余韻を胸に抱きながら、この残酷で美しい世界を、私は生きていこう」とあるが、美冬との死別を経た「私」は、どのような境地に至ったと言えるか。本文全体の展開を踏まえ、100字以上120字以内で説明せよ。

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